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「信じない」という力

今回の記事は、私「ジェイムズ鉄道車掌」の私見になります。なにとぞ、ご容赦をお願いします。

今回は。「信じないこと」をテーマにします。
どうも、マスコミも各団体も、「信じることこそ正義で信じないことは悪だ」という論調が散見されますので。

それに、「世間は○○を信じろ」と言ってるのに自分は信じられてないからダメなんだ、とか悩んでる人も多いかと思うので、こんな日記を書くわけですが。

結論を先に言いましょう。
「信じる」ことが力であるように、「信じないこと」もまた力です。

これには理由があります。
「信じない」というのは、多かれ少なかれ、「何かを考えている」ということになります。最低限、思考停止じゃないという意味でも、価値はあります。

「信じる」
これには2種類ありますね。
①ただなんとなく信じている状態。
②経験等を踏まえて、腑に落ちた感じで信じている状態。

危険なのは、言うまでもなく①です。
私が新興宗教を作ったりマルチ商法を始めるならば、「見た目だけキレイな」文言を厳選して①の人たちをターゲットにします。
今でも、「なんとなく信じている」ということから被害に逢う人は、後を絶ちません(各種商法や新興宗教や出会い系や振込み詐欺もすべてこの範疇です)。


さて、ひとつ例を挙げましょう。
あなたが、ある人物に初めて会うとします。
その人間は前歴も不明ならば現在どんな仕事をしているかも不明。
ただ、「私を信じてくれたら良い事があります」と言っています。
正直、信じますか?

あなたは、場合によっては麻薬を売りつけられるかもしれないし、おかしな商売に巻き込まれるかもしれない。最悪の場合、集団売春に参加させられる可能性もゼロではないですよね。

だから私は、「何でも信じることが正しい」といった風潮にアンチを発するわけですが、これは「何に対しても感動することが正しい」という風潮にも通じると思います。


昔、TMレボリューションが、「選ぶの連続が人生になるなんて、ちょっと考えものかもしれない(出展:1998年(?)トリプルジョーカー)と歌っていました。
「選ぶだけの人生」は、たしかに悲しいかもしれない。
だけれども、「選ぶ自由を放棄した人生」は、もっと悲しいと思います。

「信じないこと」
これは一般には「悪」と言われているけれども、信じる必要のないものを信じることはありません。
自由に枷をする信念なら、そんなものは自己満足の範囲で済ませて、他人に強制するのはそれこそ「悪」だと思います。

今、「何かを信じられない」と悩んでいる人。
それは、ある意味健全な気持ちだから、あまり自分を責めないようにしてください。考えた結果の結論のほうが、ずっと大事ですから。
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テーマ : こころのままに
ジャンル : その他

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No title

コメント有り難う御座います

>ある意味健全な気持ちだから

 なるほど、その様なみかたもあるのですね。
 私自身は、現実の生活の中では、「信じる」「信じない」を揺れ動いている様な曖昧な感じで生きています。もう少し考えることが必要ですね。

No title

いつもトラックバックいただきながら、ご無沙汰しています。
お説ご尤もです。民間ならまだしま国のトップに詐欺師を戴いてしまった今、逆に何を信じたらいいのか、何も信じられないという人も増えているかも知れませんね。
歪んだフィルターをい通さず正確な情報を入手し、冷静に判断することは、これまで以上に重要な時代なのではないでしょうか。
 












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